饅頭屋支店

ほぼ備忘録

推しと私と認知の話

酷く落ち込むことがあったので全く関係のない事象に対する己の思考を整理することで忘れようと思い記事を書いています。文章が気分によってですます調であったりそうでなかったりするのは、まあ私が話しているテンションなのだと思って受け入れてほしいです。

 

 

とりあえず思考を整理しながらこれを書くに至った出来事をまとめようと思う。まあツイッターに書いてるのでこの記事を読もうとする人はだいたい知っていると思うのだが。

先日私は推しのオンライン個別トークイベントに参加してきた。推しというのはみなさんご存知福利厚生の神である佐藤拓也さんのことなのだけれど、お誕生日イベントで発売されたCD1枚あたり30秒オンラインで個別トークをできるというイベントだ。ちなみにオンライン個別トークに参加するのはこれで3回目でした。

 

30秒って長いようで短い。話してる時は無限に感じたけど日々の中では一瞬でもある。時間の感覚はその時の状況で変わるものなのだから当然なんだけど。

私は常々言っているように「推しに認知をされたくない」ファンだ。正確に言えば「自分にファンがいる」という証明としては存在したいが、私という「個」を認識しなくてもいい、むしろあまりしないでほしいという感覚だ。それでもオンライン個別トークに参加してしまう理由がある。

 

大好きな推しが今この時は私「だけ」に声を発しているという事実が気持ち良すぎる!!!!!!

 

正直内容とかはそこまで気にしていないが、声を武器に商売をしている推しが自分にのみそれを提供しているという贅沢に身を焼かれるのが大好きなのだ。あと普通にニコニコしてて嬉しい。推しにニコニコされたら割と色んなことはどうでもいいだろ

というわけで、そもそも認知を望んでいない私はお渡し会でもオンライン個別トークでもこちらから言うことはまあ大してない。1個しかない。佐藤拓也の表現に浸れる日常があることが幸せだということだ。これではあまりにも重すぎるので毎回言うことは「いつも佐藤さんのお声と表現に元気をいただいています」という感謝だ。私は接触イベントで毎回同じことを言っている。本当に感謝したいし

 

そして私は友人に指摘をされるまで毎回のこの発言がどういう効果を持つか全く気がついていなかったのだ。

 

オンライン個別トーク当日。本当は仕事を休むつもりだったにもかかわらず出勤する羽目になった私は意地で早上がりをして帰宅していた。緊張で指先の感覚はないし全身から変な汗をかいているが佐藤さんとの30秒のトークが始まった。

 

こんばんは、と元気に手を振る推し。挨拶は大事なのでこんにちは!!!と声を捻り出す。そもそも時間は夜なのでこの時点でおかしいことに後から気がついた。いつも通り感謝を告げて明日の朗読の話でもしようかなと思った時、向こうから頭が真っ白になることを言われた。

 

「なんか久しぶりだね」

 

何に対しての発言?

 

オンライン個別トークが?いやまあ確かに1年ぶりだし久しぶり?なのか?主語がないので何もわからなかった。ちなみに真相も分からないのだが、思いっきり固まった私に続けて話題を振ってくれた。

 

「今日はお仕事だったんですか?お疲れ様です。」(的なニュアンスのこと)

 

いや 佐藤さんも仕事中だよね?!!!?と動揺してアッいえいえお疲れ様ですとか会社員テンプレみたいな引き出ししか開かなかった。というかさっきのは何?何に対しての久しぶり?混乱しながらも朗読に行く旨は伝え、30秒が終了した。

 

なんか、久しぶりだね?あの発言は?なんだったのか

 

いやまさか認知されるワケないでしょ〜!の回答を期待してツイッターに投稿したり人に話したりしたところ、その感じで10年推してたら普通認知するだろという回答が来てしまった。なんで?!!!!??!

そしてそれを知る友人に話をしたところ実に論理的な回答が来てしまった。

 

毎回同じことを言っているのはアニメの次回予告の締めと同じで耳に残る。(たしかに)

10年そのキャラデザは覚える。(たしかに10年変わっていない)

論理的すぎて納得してしまった。納得と同時に認知をされたくない私が暴れてしまって面倒臭え〜!と返事をされた。それにはちょっと笑ってしまった。

 

 

というわけで推しと認知の話です。推しの世界に「ファン」の数としての私はいてほしいけど私という「個」は知らなくてもいい、だけど機会があれば対面で感謝を伝えて表現を直接浴びたい。我儘でグチャグチャの自我を目の当たりにしてはいつも蓋をしていたのだが、今回の出来事でその自我が壺から引き出されて床に打ち捨てられていた。私はそれを眺めながら今更なんてものを抱えていたのだろうと苦しんだ。

 

苦しんだ結果の着地点としてはやっぱ推しとのオンライン個別トークで得られる快感には勝てね〜なというところでした。私の苦しみとかどうでもいいし私の自我もどうでもいいな推しがそこに在ることの喜びのが大事だな

 

最悪の着地点だった。ファンとしてはまあいい着地点なのかもしれない。結局佐藤さんに答えを聞けるわけもない(そんなタイミングも勿論ない)ので、私はこの欲のないファン面をしたいだけの醜い自我と手を繋いで生きていくしかないのだ。これまでも何も変わらない。な〜んにも変わらないし朗読はめちゃくちゃ良かったし推しの表現は変わらずそこにあって私は元気になる。

 

認知されたいファンもされたくないファンも中途半端に欲と在り方を拗らせたファンも全員「ファンである」ことには変わりがなくて考え方が違うだけだ。価値観が合わないことは別に悪いことではないし、合わないなという気持ちを許せないという気持ちに変換しない理性を持つように暮らすことが大事なんだと思う。みんなも心の平穏を保ちながら推しを推して行こうね。

余談ですが私はそんな理性はないです。あるわけないだろ。

 

 

おしまい