饅頭屋支店

ほぼ備忘録

やっぱり生の舞台が大好き、という話

ブログはお久しぶりです。

始める前から薄々感づいてはいたが、きちんと文章をまとめて出すのが苦手で日記だって長続きした試しがない。そもそも文章を書くのも何かをまとめるのも苦手で仕方ない。そんな私でもさすがに作ったなら年1くらいは更新しないとなと思って打って出しの一発書きをしている。

 

今回書きたいのはやっぱり表現は生で浴びないとなあということだ。

コロナ禍となって数々のイベントが中止となった2020年、配信という手段でのイベント開催が増えた。私も配信でイベントを見たりしてたので勿論メリットも十分に分かる。遠征費もないし、画面は鮮明だし前に人間の頭が入り込むこともない(これは本当に最高だ)、男性層の多いイベントに行って匂いやステージをかき消すほどのコールを浴びることもない。ちょっと興味があるなと思っていたものへの一歩目のハードルが低い。

しかし、生の現場には絶対に及ばないのだ。客席の緊張感、空気を揺らす演者の声、歩みで揺れる地面、それはどうしても行かなければ得られない経験だ。舞台は演者と演出だけを浴びても素晴らしいが、舞台は客席も含めてその場を浴びる経験で成り立っている。ひとまとめに舞台と言ってしまったが、ライブ・朗読・舞台はそういう「空気」があってこそのものだと強く感じた2021年だった。

 

生の表現を絶賛しているが、決して配信を否定したいわけではない。有観客でのライブが厳しい中、完全配信で行われたTRIGGERのライブVALIANTは完全配信だからこそのAR演出やカメラワークも素晴らしかったし、現実ではできない表現という強みが出ていてこういう手法も新しくていいなと感じた。だけど、それでも、私は汗と涙でぐしゃぐしゃになって山手線が停電して終電を逃しながら帰ったREUNIONを思い出してしまったのだ。

家で配信を見るのは楽でいい。視力の低さも身長の低さも関係ない。でもそこに体験はあるのだろうか?どうしたって表現は生もので、複数公演に通って回ごとの表現の違いに喜んだりする方がどうしても楽しい。私は、人間の生み出す表現に脳を揺さぶられるほどの興奮を与えてほしいのだ。

 

常々舞台役者にハマったら取り返しがつかないだろうなと思うのはこういう部分で、公演ごとに表現が100%同じなんてことはないから何度だってあるだけ見たくなってしまうのだ。3公演通ったクロジも全てが違って見えて行く前は3公演も行くのか?と思ったが全ての回で泣いている。台本を読み込んでから行った2回目などは省略されたセリフを表情で演じていることに気が付いて全然泣くシーンでもないのに打ちのめされていた。

 

ゼンカイジャーのショーもそうで、特撮のショーに行ったのは初めてだったのだが結果4公演行くことになっている。推しの声もあるみたいだし子供向けのショーってどんな感じなんだろうと思って行ったのが始まりだった。(ホビアニイベントに行くこともあるので子供の中に突っ込むこと自体は躊躇いがなかった)だったのだが、これがものすごく良かった、良かったというより凄かったのだ。

アクションのある舞台を見たのが初めてというのもあって「えっ人間って現実でこんな動きするの?」という驚きの連続だった。変身演出も素晴らしく本当にその場にいた3人が変身をしたような演出には震えてしまったし、こんなの…子供が見なくても「いる」と思うじゃん…というか「ヒーローはそこにいる」んだよ…と打ちのめされた。

やっぱりこういう脳を揺さぶられる体験は生でなくてはならない。子供の中に行くのはなあと躊躇っている人間は早く行った方が良い、というか特別公演に関して言えば大人がかなりいる。この前なんか私含め横4人連続でステイシー推しの成人女性だった。どうしてそうなった?

 

2022年は生の表現が去年以上に浴びられる年になってほしい。佐藤さんも年に1回は舞台をやりたいと仰っていて大変ありがたい限りだ。私は勿論行ける範囲で全力を出そうと思う。先日の年末特番で2020年のまとめを「さて次は?」としていた佐藤さん、3歳からの「ヒーローになる」という夢を叶えたその先の表現を浴びられることに幸運を感じながら、今日の記事を締めたいと思う。

グダグダ言ったが、私がゼンカイジャーのショーに4回行くことにしたのは足を組んだゾックスがあまりにもセクシーでたまらなくなったからです。人間そんなものよね。